『きっと誰かがあなたのこと見てくれてる』的なことって社会では幻想なのでしょうか?
もう頑張っただけで結果が出なくても評価される歳でも社歴でもないのは分かりますが
誰かがしたミスを黙ってこっそりフォローしたり、誰もやらない気付かないような雑用をこなしたり
自分はメインの仕事がいまいちなので、そういう部分はせめて人一倍頑張ろうと思っていますが
結局目に見えないとこで何しても誰も何も見てないし
怒られてばかりだし意味がないような気がしてきました。
雑用に労力回すより、メインの仕事で少しでも労力回したほうが良いのでしょうか?
メインを疎かで雑用頑張るのは本末転倒?
でも自分はそのメインがダメだから雑用頑張ろうと思ったわけで。
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人の眼を気にしすぎ。自分がやるべきことをやりましょう。
達人は自分のやるべきことを知っている。
メインが出来なければ意味ないと思います
あなたは雑用に逃げてるだけとも言えます
他人は他人で自分の仕事で手一杯
あなたが何をしているかなんて見ていないですよ
他人のミスのフォロー、あなたがしたとアピールすべきです
黙っていてはその人も成長できません
そして雑用する時間があったらメインの仕事をしろと思いますね
会社はあなたに雑用してもらうために給料払っているのではないでしょう
うーん、誰かが見てくれてるなんて、
嫌だーw気持ち悪いわ。
そんなこと信じる気にもなれない。
コッソリとか気づかれないように努力した結果、誰にもきづかれてないなら
ある意味成功だよねぇ。
でもいい年の野郎が雑用頑張っても、特に評価はないような?
出来る人がサっとやると+効果ありそうだけど。
誰かって誰に期待してるのかな
上司 ですか?
そういう言い回しってお天道様が‥とか、必ず報いが・・という意味合いの物だと思うんですよ
確かに黙々とやっていればそういう「お守り」みたいな感覚を持ちますね
人の嫌がる仕事、こまごまとしたこと、時間のかかるもの、他人のために骨折りすること
きつい、汚い・・・確かに、誰かが見ていてくれたら報われるものかもしれませんね
考えようです
あなたが見ています
あなたが他人のために骨折りをしているんです
あなたの心が無償の尊い行いを見てるじゃありませんか
それじゃ納得ができませんか?
これからも誰も見ていなくてもあなたは続けるでしょう
それを悟った時、あなたは美しい心に、お顔になっていると思いますよ
40過ぎたら自分の顔に責任を持て、リンカーンの言葉ですが
こういう無償の尊い行いが月日をかけて変えていくのだと思います
難しいかな・・・・
あなたは頑張っていますよ、これからも
どんな雑用か知らないけど(まさか掃除とかお茶汲みじゃないとは思うが)、メインを頑張れない言い訳にするのは、社会人として駄目かと。
ただ、人知れず、誰かがやらなければならない地味な貢献をしているなら、実はわかっている人もいると思う。
君が「わかってくれない…」といじけた頃に気付きはじめる人もいると思う。
(機会を見て、口に出して言った方がいいが。)
というわけで、メインも勿論がんばりつつ、地味な貢献も無理のない範囲で続けてみよう。
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